恋と革命、終わりなき日常

高橋源一郎の小説で、『ジョン・レノン対火星人』という作品がある。
これは、作者が若い頃、過激派活動に参加し、
逮捕された挙句、東京拘置所に送られた体験をもとに書かれたものであるが、
(ちなみに、ジョン・レノンも火星人も登場してきません)
この本の解説に、以下の文章がある。
少々長いが、引用させていただく。
(批評目的の引用のため、著作権法の例外に該当します。)

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 多分、私たちは「過激に生きるか凡庸に生きるか」の二者択一が自分たちには突きつけられており、誰もそれを避けることができないと思い込んでいたのだろう。
 でも、二十歳前後の若者に向かって「過激か、凡庸か」を選ばせるというのは、フェアなやり方じゃないと思う。そんなきわどい選択肢を前にして、生意気盛りの少年少女が「私は、凡庸でも安全な生き方の方がいいです」というような回答をなしうるはずがないからだ。その年代の若者は「マリファナ吸う?とか「セックスしない?」とか「革命やろうぜ」というようなオッファーに対して、「よくわかんないから、少し考えさせてくれませんか」という冷静な応接をすることは許されていないのである。
(中略)
「過激派」の政治へのコミットメントは、私たちにとって、おのれの正義の感覚や倫理性を検証する「踏み絵」だった。私たちはそれを「君はどちらのボタンを押しますか? 『恋と革命』のボタン、それとも『終わりなき日常』のボタン?」というような定型的な問いかけに、「もちろん、『恋と革命』さ!」と「正解する」ことでクライマックスを迎える「選択のドラマ」にすぎないと思っていた。
 まるで間違っていた。
 私たちは「恋と革命のボタン」を押したつもりで、自分の処刑執行許可書に署名してしまったのである。
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ようは、若者たちに『恋と革命』と『終わりなき日常』を選ばせた時、必然的に『恋と革命』を選んでしまい、それが『過激派活動』への一本道であると、そのようなことを言いたいのである。

また、『終わりなき日常』とは、
『ブルセラ学者』宮台真司が、地下鉄サリンをはじめとしたオウム真理教事件の直後に書いた
『終わりなき日常を生きろ』という著書にて提案した概念である。
そこには、上記の引用の言葉を借りると、
『恋と革命』の態度こそが、オウム事件を生み出しサリンを撒いたとし、
『終わりなき日常』を生きることこそが、事件の再発防止の『処方箋』(宮台が好んで使う用語である)であるとされている。
しかし、『終わりなき日常』を生きるためのモデルケースが、
『ブルセラ少女やクラバーキッズのように』とされており、
「そんな生き方、できないよ~」と、
多くの思想系青少年の反感を買っていた。
実際、浅羽通明がその直後に出した『思想家志願』という本において、
「我々にとって、『彼ら彼女ら』のような生き方はできるはずがない。『私たちの問題』として、考えられなければならない。」と、反論している。
また、宮台は、『終わりなき日常』とは、(少なくとも思想系青少年にとって)『ディストピア』(ユートピアの反対)であるような書き方をしており、そのことも反感を買った一員である。少なくとも私は、『終わりなき~』を読んだあと、非常に不愉快な感覚であった。

とはいえ、当時の私は、10代の頃に左翼思想にかぶれており(若いうちに左翼思想にかぶれるのはよくある話で、大人になっても左翼思想にとらわれている人々を『左翼小児病』と揶揄されている。『中二病』の語源)カルト宗教や過激派の残党による勧誘に引っかかりそうになったりだの、非常に危険な綱渡りをしていた。

確かに、『恋と革命』と『終わりなき日常』の二択は、非常に危険な思想であり、『恋と革命』を取ったならば、過激派やカルト宗教一直線であるし、(宮台真司てきな)『終わりなき日常』を選択するのならば、ディストピアが待っているというのはある。

ならばどうすればいいのか。

現在の私の立ち位置からしたら、強いて言えば『終わりなき日常』を選択するのであるが、宮台真司的な『終わりなき日常』ではなく、

『日常』の中にも、ちょっとした潤いを見出す。

これこそが、我々にとっての『処方箋』なのではないだろうか。
(あ、宮台語使っちゃった)

私が若い頃、当時の大人たちは、そんなことを教えてくれなかった。
そのために、過激派やカルト宗教に行ったり、人生に絶望してしまった人が多数いるのであろう。

なので私は、大人として、今の若者に声を大にして言いたい。

「日常の中に、ちょっとした潤いを!」

ただ、私が思うに、少なくとも私が関わっている若者たちは、実に器用に生きてるな~と。

動画サイトで活躍したり、コスプレやライブ出演などで、日常と非日常の境目を、実に器用に渡り歩いているな~と。

なので本当に言うべきは、私と同世代なのかもしれない。
あるいは、私自身、自分に言い聞かせるために。

というのは、ここ最近の私の、オタク作品のブームといえば、
ズバリ、『日常系』なのである。

小説版の『涼宮ハルヒシリーズ』の場合、
長編は『恋と革命』側、短編が『日常』側で書かれることが多いのだが、
私が惹かれるのは、短編の『日常』側なのである。
宇宙人・未来人・超能力者、そして神のような存在、
そのような『一風変わった』面々と、面白おかしく学生生活を謳歌する、
そのようなことに惹かれるのである。

または、『らきすた』のような、日常ゆるふわ系。
(『けいおん!』なども同傾向なのであるが、残念ながら私は見ていない。)

実は、このことについて真剣に考えるきっかけになったのは、
前回紹介した、『魔法少女まどか☆マギカ』の二次創作
『魔法少女三十路★マジか』について、
なぜこの作品群に惹かれるのかな~と考えたとき、
このようなことを思い立ったのでした。

長文にお付き合い頂き、ありがとうございます。

最後にもう一回、

『日常』のなかに、ちょっとした潤いを!

追記。

『魔法少女三十路★マジか』について、
PV作者さんとも、ついにつながってしまいました……

魔法少女三十路★マジか(『魔法少女まどか☆マギカ』二次創作)

今回の件は、ずっと当ブログで取り上げようと思っていたのだけど、
タイミングがつかめなくて……
で、元ネタである『まどマギ』について論じた直後なのと、
今後の批評活動において、重要な項目になるので、
ここで論じることにした。

えっと、『魔法少女まどか☆マギカ』の、二次創作作品群である、
『魔法少女三十路★マジか』なのですが、
おもにツィッターで盛り上がっているネタで、
同人誌も作られているそうです。
(前回の記事で『二次創作作品群』と書いたのは、これのことです)

以前も書いたのですが、
三十路魔法少女物の小説を書こうと思って、
「んなもん需要あるのか?」と探りを入れたところ、
発見してしまった。

もともとは、言いだしっぺの方の身内で盛り上がっていたネタだそうですが、
あれよあれよと賛同者が集まり、
膨大な数のSSが投下されたり、
絵師さんがイラストを投下したり、
同人誌や、PVまでもが作られてしまったと。

どんなに、「こんなネタ誰が喜ぶんだ?俺得なだけだろ?」と思っていても、
必ずと言っていいほど、賛同者が集まるという典型ですな。

この作品群が優れているのは、
二次創作でありながらも、
元ネタを知らなくても楽しめるという点。
前回言ったとおり、私は、
『まどマギ』に関しては、完全にミリしら状態なのですが、
それでも、十分楽しめてしまうという。

では早速、紹介しましょう。
概要については、ニコニコ大百科の当該記事をご覧くださいませ。

ツィッターに投下されたネタのまとめ

ここ数日身内周りで盛り上がっている「魔法少女三十路☆マジか」ざっくりネタまとめ(元凶)
続 魔法少女三十路★マジか(まとめ二代目)
新・魔法少女三十路★マジか(まとめ三代目)
続新・魔法少女三十路★マジか (まとめ四代目。不定期更新中)

PVがまた凄い出来なので、ぜひ見ていただきたいと思います。

【魔法少女まどか☆マギカ】Twitter作品集PV『魔法少女三十路★マジか』
【まどかマギカ】小説PV:魔法少女三十路★マジか[新編]前厄の物語
【まどかマギカ】二次創作小説:魔法少女三十路★マジか[本厄]の物語

当作品群において、言いだしっぺのの方は、
「元ネタが不幸な作品だけに、幸せな世界を想像(創造)したい」
という旨のことを発言されていて、
それについて、
「三十路の残念なお姉さんが好きなだけだろ」と返されて、
それはそれで否定をされなかった、とのことですが、

私にしても、その両方があるからこそ、この作品群に惹かれているというわけで

『まどマギ』について、ある程度WIKIPEDIAなどで調べはしたのですが、
やはり、陰惨な世界で、正直、抵抗がある。

もっとも、今となっては、
『三十路★マジか』をより楽しむためにも、
『まどマギ』を見るのは、避けて通れない道になっているが。

さらに、『三十路★マジか』に、なぜここまで惹かれるものがあるのかを、
さらに分析してみたら、
思想的な問題にぶち当たった。
それについて、次回以降、語ってゆきたいと思います。

余談ですが、
言いだしっぺの方とは、ツィッターで交流があります。

まどマギをミリしらで論ずる

なんか、タイトルからして暗号っぽいですね。

ここでやりたいのは、
『まどマギ』の略称で知られる、アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』を、
『ミリしら』つまり、1ミリも知らない=全く知らないで、
ネット上の情報のみで論ずると、こういうことです。
(学生時代、『自由研究』の課題で『研究』を一切やらず、
文献からの引用で切り抜けた私の面目躍如たるものです。
小中高生及び文系の大学生は、この方法を知っておくのも良いかもしれません。
理系大学生は、下手すると小保方ちゃんになるのでお勧めできません。)


『まどマギ』に、最近関心が行っている理由は、長くなりそうなので割愛。
この作品の、二次創作作品群に夢中になっている、だけ言っておきます。

で、その二次創作作品群、
それらは、元ネタを知らなくても独立した作品として楽しめるものなのですが、
やはり、ある程度の前知識は仕入れておきたいと考えるのが人の常。

もともと、
「僕と契約して、魔法少女になってよ」
というセリフというかキャッチフレーズというか、程度は知ってました。
(そういう点においては、『1ミリ程度は知っていた』なのですが。)

で、調べて行ったところ、
『魔法少女もの』というジャンルに対する、
ダークなパロディ、ということもわかりました。
(『ロボットもの』に対する『エヴァンゲリオン』の立ち位置、というべきか。)

で、最新の調査によって、
大体のプロットがわかりました。

☆少女の願望を叶えてあげる

☆その代償として魔法少女になり、『魔女』と命がけで戦うという使命を負わされる

☆魔法少女が絶望すると『魔女』化する

☆『魔女化』したエネルギーによって、宇宙が守られる

これで、だいたいあっているはずです(?)
(ミスがあったら指摘キボンヌ)

ここで問題とされているのが、
『宇宙を守るためなら、少女が絶望しても魔女化して地球を滅ぼしても構わない、
むしろ積極的にそうするべき』
言い換えれば、
『大を生かすためには、小を切り捨てる』
という思想で、

このへんは、
オウム真理教をはじめとしたカルト宗教理論や、
マルクス主義過激派セクトなど、
何度も論じられてきた問題です。

おそらく、作り手側も、
そういったことを念頭において、作っているかと思われます。

ちょっと前まで、
ダークな作品として、敬遠していたのですが
(件の二次創作作品群が、「本編がダークならば、二次創作では明るくやろうよ」的なスタンスで書かれているので、なおさらなことです)

このへんの基本プロットを抑えた上で、
一変、通して見てみたいなと。
(ニコニコ動画の有料チャンネルで見れるらしいし。)

調べて気づいたんだけど、
まどマギの放映時期って、2011年冬番組。
つまり、東日本大震災前後。
その頃、私が何やってたかというと、
日本に捧げるロ~マ~ン~ス~を作って歌ってたり、
あさがやドラムで朗読してたり、
某女性劇団員のケツ追い回してたり。

私の、主観なのですが、
意外と、最近の作品なんですね。
もっと、古いかと思った。